アオイの好奇心

筆者(アオイ)の個人的な好奇心に基づいて、自由気ままに綴るブログです。

Social theme books 第11回「センスは知識からはじまる」朝日新聞出版

連載もついに二桁に突入...してから、長かったですね、次の更新まで。

お待たせしてすみません(待ってる人いるのかしら?)

Social theme books、再起動です。

 

11回目はこちら。

「センスは知識からはじまる」水野学著(グッドデザインカンパニー代表)

 朝日新聞出版より。

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

 

 

センスの話が、なぜSocial themeなの?とお思いの方もおられるかと思いますが、

GDC代表のアートディレクター、水野学さんはこう語ります。

「現代は、センスの良し悪しが個人と企業の存続に関わる時代」と。

「自分にはセンスなど関係ない」と思う人もいることでしょう。

しかし、水野さんに言わせれば、センスが必要とされない仕事など一つもない、と。

仮に必要ではなくとも、センスが悪いよりは良いほうが、ビジネスパーソンとしてアドバンテージになることは確かだと。

会議資料をまとめる作業や企画書の作成は、多くのビジネスパーソンが日々行うことだけど、読みづらい書類ばかりを提出する人が、仕事ができるように見えるだろうか?

仮にあなたが経理部に所属していたとして、資料に最適な書体、グラフ、まとめ方があるはず。情報を的確に整理し、大切なポイントを一番見えやすくすることができる人とできない人で、優劣は明らか。

 

...という引用で読者の皆さんの興味を惹きつつ、

「センス」に関する水野さんの言葉を幾つか抜き出してみましょう。

 

「センスは生まれついてのものではない」

「センスとは、「数値化できない事象の良し悪しを判断し、最適化する能力」である」

 

「まず「普通を知る事」が必要。

 普通とは、「いいもの」がわかること。

 普通とは、「悪いもの」もわかること。

 その両方を知った上で、「一番真ん中」がわかるということ。

 センスを良くしたいなら、まず普通を知る方がいい」

 

そして、日本の学校教育における美術の授業を例に、こう指摘します。

「美術にも、知識を蓄える「学科」と、実際に作る「実技」を両方揃えるべき。

 美術の知識が欠落すると、美的センス、美意識というものにコンプレックスを抱くようになる。服や住まい、インテリアを選ぶことに自信が持てなくなる。これらが原因となって、「センス」」という言葉への恐怖心が育ってしまう。これはよくない」

 

そして、いよいよタイトル通り、「センスを磨くには知識を増やすこと」というこの本の肝に入っていきます。センスをいかにして磨くことが出来るのか、その具体的なアプローチは本書を読んで頂くとして、なぜアートディレクターである水野さんが、このようなセンスにまつわる本を書くに至ったのか?

 

「センスは知識からはじまる」という話をすると、誰でも興味深く聞いてくれる。でも、限られた時間の中では伝えきれずに、「でも結局は、持って生まれたセンスも必要ですよね?」と言われてしまうことも多々あった。」

水野氏は、これが本書を書くきっかけになったとエピローグで明かしています。

 

「世の中には、何の知識もなしに、素晴らしいひらめきと天賦の才だけでやっていける一握りの天才がいるかもしれない。でも、そんな才能を持たない「普通の人」だって、センスという世界で勝負することはできるのです。僕自身が、"ガラパゴス"から脱出した経験者です」と語る水野氏。

 

いきなりアートディレクターやデザイナーといった仕事に就くことは無理でも、仕事の成果としての最終的なアウトプットのクオリティ、質の高さがこれほど求められている時代はないと水野氏は語ります。センスは知識からはじまる。ならば、日常の中で知識を増やしていくことで、自分も「センスのいい」人になれるのでは?そんな期待を読者に抱かせ、また、そのための方法を伝えてくれる好著です。

 

センスなんて自分には無い、と思っている人にこそオススメしたい、そんな一冊です。

Social theme books 第10回「はじまりのはる」講談社アフタヌーンKC

連載もついに二桁に突入。

というわけで、ここらでちょっと変化球、コミックのご紹介。

とはいえ内容はド直球です。

3.11後の福島でのリアルを描いたフィクション、「はじまりのはる」端野洋子著。講談社アフタヌーンKC

 

はじまりのはる(1) (アフタヌーンKC)

はじまりのはる(1) (アフタヌーンKC)

 

 Twitterで某科学者の方が言及されていたので、さっそく買って読んでみた。

 

すごい。このコミックには、東日本大震災以降の、福島県のリアルがある。

描かれているのは、福島県中通り南部に住む高校生たちの失意と希望。

 

福島県在住の漫画家、端野洋子さんによる、綿密な取材と調査によるしっかりとした「リアル」を描いた、あくまでもフィクション。

でも、どんなノンフィクション作品よりも、伝わってくるものがある。

 

この作品、「失意」から逃げない。

いや、逃げようとする登場人物たちも見受けられるが、作者の姿勢として、

これだけの失意があの時の(そして現在に続く)福島にはあるのだ(あったのだ)と

きちんと伝えてくれる。

その上で、登場人物たちは、それぞれ自分の足で立ち上がり、希望を見いだしていく。

その過程がとても素晴らしい。

 

こういう言い方はアレだが、「100万部くらい売れろ!」と思わせてくれる一冊である。

2014年3月時点で2巻まで出ている。

1巻につき100万部くらい売れてくれ!そう願わずにはいられない、

「3.11というあの日」以降を生きる全ての日本人に読んでほしい一冊。
(僕は「読むべき」という言い方が好きじゃないので、あえてそうは言わないけど、

 そう言いたくなる一冊です)

Social theme books 第9回「社会の真実の見つけかた」岩波ジュニア新書

 本日は、ジュニア向け新書と震災をテーマにしたコミックをご紹介の二本立て。

まず第9回更新はこちら。

「社会の真実の見つけかた」岩波ジュニア新書、堤未果著。

社会の真実の見つけかた (岩波ジュニア新書)

社会の真実の見つけかた (岩波ジュニア新書)

 

 著者は「ルポ 貧困大国アメリカ」で有名ですが、本書では主にアメリカ、および日本の事例を取り上げ、メディアの情報に振り回されずに自分自身で真実を見つけるにはどうしたらいいのか、ということを述べています。

章立てはこんな感じ。

 

第1章 戦争の作りかた 三つの簡単なステップ

第2章 教育がビジネスになる

第3章 メディアがみせるイメージはウソ?ホント?

第4章 社会は変えられる

 

ざっくり言うと、アメリカはいかにして戦争へと突入していったか、そして教育問題がいかにして酷い状況に追い込まれていったか、で徹底して絶望的な状況を知らしめてくれるのが1、2章。

そして、メディアについて述べることで、「社会の真実」はいかにして見つけだすことができるか、その具体策を含めて述べた第3章、そして見つけ出した真実を元に、いかにして社会を変えていけばいいのか、を述べた第4章となっている。

 

ネタバレにならない程度に3章の締めの部分を抜粋すると、

 

「真実を見つけるには、ただ座って待っているだけじゃ駄目」なのだ。

誰かが差し出してくれる情報にばかり頼っていると、いつの間にかフェイクをつかまされてしまう。

テレビに新聞に携帯電話、iPadTwitterも、すべてはどんどん進化する「道具」にすぎないのだ。

(中略)iPhoneという窓口を通してみる世界も、私たち次第でその大きさを変える。窓の向こうにある膨大な情報の中から「本物」を選り分けるために、しっかりとアンテナをたてて本物をつかむのは、使う側の私たちなのだ。

(引用ここまで)

 

*あえて注釈をもって言えば、このブログエントリを書いている私の言う事をそのまま鵜呑みにするのではなく、これを読んでいる方それぞれが自分自身の頭で判断してほしい、という気持ちも込めて引用させてもらった。

 

そして、4章では、

「ネット」に「数」そして「時間」という道具を使い、いかにして社会を変えていけばいいのかについて言及している。

 

この本が出たのは2010年末。

日本でもネット選挙が解禁され、様々なケーススタディが得られた。

ネット選挙はまだまだ社会を変えたと言うには早急だが、まだ始まったばかり。

私たちが社会を変えていけるチャンスも、まだまだ残っているのだと、

この一冊は私達を励ましてくれる。

 

日本の社会情勢、マスコミ、選挙の結果などにうんざりしている人も多いと思うが、

そんな人に希望をもたらしてくれる一冊である。

ジュニア新書なので、学生さんにもぜひ挑戦してみてほしい。

この本が広く読まれますように。

Social theme books 第8回「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」PHPビジネス新書

第7回ではソフトカバーの単行本にいきつつ、またも新書に戻ってきました。

やはり新書は知らないジャンルを知るのには適した材料ですね。

 

今回はご存知、メディア・アクティビィスト、津田大介さんの新著。

「ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す」PHPビジネス新書。

 

 

 津田大介さんに関しては、Twitterをしている人で知らない人はいないと思うので、

細かいプロフィールなどについてはあえて述べません。

 

サブタイトルが「これからのソーシャルメディア航海術」となっており、

こちらの方がより内容を的確に表しているように思う。

2014年頭現在で、最新のソーシャルメディアとの付き合い方指南、といった感じ。

 

Q&A方式で、読者からの質問に答えるという形式で進むので、

隙間時間でもスラスラと読める一冊になっている。

ソーシャルメディアの総論」という印象の強かった今までの本と違うのは、

個々の質問にひとつずつ答える形式にしたことで、

ソーシャルメディアの使い方に悩むユーザー読者の悩みに答えられる一冊になっていること。

ソーシャルメディアとはどんなものか」といったような切り口ではなく、

既にある程度普及した現時点では、いかに自分の生活の中でそれを使うか、という

具体的な悩みを解決するという形式にしたこの本の狙いは、大当たりだと思う。

ソーシャルメディアの使い方になんとなく疑問や不満を感じている人の悩みにも、

この本なら応えてくれるのではないだろうか、と思わせてくれる頼もしい一冊。

 

いままでの「津田本」とはまた違った面白さがあり、

以前から津田氏の本を読んできた人にも面白く読めること請け合い。

個人的には、付録的な位置づけになっている島田裕巳氏の

津田大介論、あるいはパーソナルメディアの誕生」が、

津田大介論としてとてもよく出来た内容なので必読である。

 

なんとなくソーシャルメディアに疲れてきたあなたに効く一冊。

オススメです。

Social theme books 第7回「15歳からのファイナンス理論入門」ダイヤモンド社

新書ばっかりやね、と言われそうなので(誰に?)

ソフトカバーだけど単行本も読みますよ、という回です。

「15歳からのファイナンス理論入門」ダイヤモンド社、 慎泰俊著。

 

15歳からのファイナンス理論入門―桃太郎はなぜ、犬、猿、キジを仲間にしたのか?

15歳からのファイナンス理論入門―桃太郎はなぜ、犬、猿、キジを仲間にしたのか?

 

 「ファイナンス理論」なんて言うと、「なんだ、お金の話か...」というそこのあなた、

ファイナンス理論がカバーしているのはそこだけじゃないですよ、という一冊。

 

サブタイトルは「桃太郎は、なぜ、犬、猿、キジを仲間にしたのか?」。

 

講義形式で展開していくものの、中学生でも理解できるレベルに噛み砕いた話になっており、とても読みやすい。また、お金の話だけ、ということでもない。

冒頭、「この授業をしなければならないと思った」理由として、以下の3つを著者は挙げている。

●不確かさとうまく付き合っていくことはとっても大切なのに、学校では学ばない

●「ちょっとしたこと」を知っていたらダマされにくくなるのに、そのことを学校では学ばない

●ファイナンス理論を勉強しておくと、世の中のいろいろな仕組みがわかりやすくなる

 

というわけで、「ファイナンス理論を学ぶことを通して、世の中をより理解しやすくなる」一冊とでも言うべき良書である。

 

また、ファイナンス理論に対するよくある誤解として、

「ファイナンス理論はお金に関するものだ」→

 すべての「不確かなこと」に対応できる、「人類の知恵」です。

 

「ファイナンス理論がわかったら、楽にお金もうけできる!」→

 理論は「何かを変えること」を教えてくれるものではなく、むしろ「何ができて、何ができないのか」を教えてくれるもの。

という感じに、冒頭でうまく誤解を解いた上で話を進めてくれるので、授業内容がすっと入ってくる。

 

「リスク(危険ではなく不確かさ)とリターン」

「リスク分散」

「現在価値と将来価値」

「国語」「社会」「ホームルーム」「放課後」といった章立て。

なにそれ?と思った人は、ぜひこの本を手に取ってみてほしい。

 

ファイナンス理論という、一見するとお金もうけの話に限った話のようでいて、

世の中の様々な物事を考えるのに役立つ「考え方、ものの見方」が身に付く、

そして中学生にも理解できるレベルの、とても分かりやすい入門書。

「ファイナンスなんて知らないよ」というあなたにこそ読んでもらいたい一冊。

オススメです。

 

追伸:この本の著者、慎泰俊(しん・てじゅん)氏とは同い年で、

Twitterをフォローしているのでとてもいい刺激を受けている。

いずれこのブログのシリーズで取り上げることになると思うが、

「ソーシャルファイナンス革命」も読ませて頂こうと思っている。

個人的に(一方的に)応援している同い年の人の一人である。

 

Social theme books 第6回「データを紡いで社会につなぐ」講談社現代新書

ビッグデータ」「オープンデータ」「デジタル・アーカイブ」

ニュースやSNSで何となく聞いたことある。意味もなんとなくわかるけど、

結局それって何の役に立つの?

そんな方にぜひ読んでもらいたい一冊がこちら。

「データを紡いで社会につなぐ デジタルアーカイブのつくり方」講談社現代新書

 

 冒頭には「この本は、データと社会の関わりについて知るための入門書です」とある。また、「文系の高校生にも分かるような本をと依頼されました」ともある。

この本は、ビッグデータ、オープンデータ、それらを元にしたデジタルアーカイブの作成に至るまでの、著者の経緯を記した一冊である。

 

「温暖化で沈む国」として有名なツバルに住む人々の記憶を伝える「アーカイブ」をデジタル技術をもって作ったのを皮切りに、広島、長崎、そして東日本大震災に至るまで、様々なテーマをグーグルアースを基礎とした技術でデジタルアーカイブ化する。

 

これだけ聞くと何のことだか分からないかもしれないが、

簡単に言うと、ネット上の地球儀であるグーグルアース上に、様々な写真やテキストを貼付けマッピングし、

世界中のどこからでもアクセスできるようにした様々な地域の「アーカイブ」を作る。

例えば、広島に投下された原爆の被爆者の方のインタビューが、グーグルアース上の地図にマッピングされ、クリックするとテキストや音声、動画などで閲覧できる、といった感じである。

 

この本を読んで一番に感じたのは、「デジタル技術とオンラインと、実際の世界をリンクさせる時代が来たのだなあ」ということだった。

実際の世界と、インターネットの世界は別。なんとなくそんな風に思っている方も多いと思うし、僕もまだそういう印象は強いが、

どう考えてもこの先、二つの世界はどんどん地続きになっていくだろうし、

そのための素晴らしい事例を作った、著者である渡邉英徳さんに敬意を表したい。

「デジタル技術を使って、こんなに役立つ、歴史的にも社会的にも意義がある」プロジェクトは初めてかもしれない。

今更かもしれないが、「始めているひとは、もうとっくに始めている」のだと気づかされた。

 

デジタル技術の進化に希望を抱く人も否定的な人も、どちらにも希望をもって受け止めてもらえる一冊だと思う。

(もちろん、その技術の利便性と引き換えのリスクについても著者は指摘しておられるが)

デジタルに関わる人、社会的なテーマに関わる人、必読の一冊。

おすすめです。

Social theme books 第5回「もうダマされないための「科学」講義」光文社新書

第5回目は、「科学」について。

とりわけ、「社会と科学の関係」について書かれたこの本を取り上げたい。

「もうダマされないための「科学」講義」光文社新書

 

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

 

 シノドス、という「アカデミック・ジャーナリズム」に関する記事を集め、

様々な形で発信しているサイトがある。

この本は、その中から書籍化された「シノドス・リーディング」第4弾である。

 

各章の目次はこんな感じ。

 

1章:科学と科学ではないもの

2章:科学の拡大と科学哲学の使い道

3章:報道はどのように科学をゆがめるのか

4章:3.11以降の科学技術コミュニケーションの課題

   ー日本版「信頼の危機」とその応答

付録:放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち

 

簡単に各章ごとにまとめてみると、

1章:科学とニセ科学疑似科学を明確に区別するのはとても難しい。
2章:科学哲学、という分野から科学のあり方を考える。

3章:「エコナ」問題を主な題材に、報道における「科学」の問題点について。

4章:3.11以降に失われた「信頼」をいかに取り戻すべきか。

付録:具体例をいくつも挙げて、放射性物質に関するデマをひとつずつ検証。

 

といった感じで、3.11以降
(この本の内容は震災前に書かれたものも多いが、

 震災があって内容を追加した部分も多分にあるようだ)

における、科学と社会と私達市民の関係性について、様々な視点から検証した一冊になっている。

 

この本に登場する人たちには、「科学は万能だ」「絶対安全(危険)だ」といったような、簡単な二元論などに集約されることを述べる人は一人もいない。

また、わからない点についてはわからない、検証が必要、というところには検証が必要、ときちんと述べている。

この本の一節で、気になった一節を挙げるなら、

現代社会における「科学的な説明」が正しいかどうかは、

 主張の内容ではなく、そこに至るまでの「態度」の方を重用しして判断するべきではないか、という一節だ。

 

たしか糸井重里さんだったと記憶しているが、震災後の様々な言説について、

「よりスキャンダラスでないほう、より人を驚かしていないほうを信じる」

といった旨の発言をされていたように思う。

そして、その判断基準は案外正しいのではないか。

 

この本を一冊読んだからといって、「明日からだまされる確立がゼロになります」

なんてことは僕には到底言えない。

だが、「Twitterでよくわからない言説をみかけたけど、拡散するのはちょっとやめよう」とか、「科学的に説明されたっぽいけど、本当なのかな」とためらうとか、そういった役には立つことは間違いないのではないかと思う。この本を素直に読んで受け止めるのならば。

 

「科学的に考える」ということは、「自分で色々と調べて自分自身で判断する」ということでもある。(あくまで一つの見方にすぎないが)

「科学者」らしき人が「科学的に」説明された説を、簡単に鵜呑みにしない。

それは、逆説的に言えば、この本に書いてあることも、簡単に鵜呑みにしない、ということでもある。

素人が判断できることには限界もあるし、科学者側が一般の人に説明することにも限界はある。

しかし、お互いに理解しようと歩み寄ることはできると思う。

この一冊は、そんな相互理解の、そしてその先にある「科学への信頼」の、

ひとつの助けになるだろう。

 

原発」や「被曝」や「安全」が気にならない人はほとんどいないと思うが、

そういった事に興味関心がある人には、ぜひこの本を読んでほしいと思う。

 

この国における「科学」への一般的な理解が、少しでも深まり、

「科学」への信頼が少しでも向上していくことを願ってやまない。