アオイの好奇心

筆者(アオイ)の個人的な好奇心に基づいて、自由気ままに綴るブログです。

Social theme books 第5回「もうダマされないための「科学」講義」光文社新書

第5回目は、「科学」について。

とりわけ、「社会と科学の関係」について書かれたこの本を取り上げたい。

「もうダマされないための「科学」講義」光文社新書

 

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

 

 シノドス、という「アカデミック・ジャーナリズム」に関する記事を集め、

様々な形で発信しているサイトがある。

この本は、その中から書籍化された「シノドス・リーディング」第4弾である。

 

各章の目次はこんな感じ。

 

1章:科学と科学ではないもの

2章:科学の拡大と科学哲学の使い道

3章:報道はどのように科学をゆがめるのか

4章:3.11以降の科学技術コミュニケーションの課題

   ー日本版「信頼の危機」とその応答

付録:放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち

 

簡単に各章ごとにまとめてみると、

1章:科学とニセ科学疑似科学を明確に区別するのはとても難しい。
2章:科学哲学、という分野から科学のあり方を考える。

3章:「エコナ」問題を主な題材に、報道における「科学」の問題点について。

4章:3.11以降に失われた「信頼」をいかに取り戻すべきか。

付録:具体例をいくつも挙げて、放射性物質に関するデマをひとつずつ検証。

 

といった感じで、3.11以降
(この本の内容は震災前に書かれたものも多いが、

 震災があって内容を追加した部分も多分にあるようだ)

における、科学と社会と私達市民の関係性について、様々な視点から検証した一冊になっている。

 

この本に登場する人たちには、「科学は万能だ」「絶対安全(危険)だ」といったような、簡単な二元論などに集約されることを述べる人は一人もいない。

また、わからない点についてはわからない、検証が必要、というところには検証が必要、ときちんと述べている。

この本の一節で、気になった一節を挙げるなら、

現代社会における「科学的な説明」が正しいかどうかは、

 主張の内容ではなく、そこに至るまでの「態度」の方を重用しして判断するべきではないか、という一節だ。

 

たしか糸井重里さんだったと記憶しているが、震災後の様々な言説について、

「よりスキャンダラスでないほう、より人を驚かしていないほうを信じる」

といった旨の発言をされていたように思う。

そして、その判断基準は案外正しいのではないか。

 

この本を一冊読んだからといって、「明日からだまされる確立がゼロになります」

なんてことは僕には到底言えない。

だが、「Twitterでよくわからない言説をみかけたけど、拡散するのはちょっとやめよう」とか、「科学的に説明されたっぽいけど、本当なのかな」とためらうとか、そういった役には立つことは間違いないのではないかと思う。この本を素直に読んで受け止めるのならば。

 

「科学的に考える」ということは、「自分で色々と調べて自分自身で判断する」ということでもある。(あくまで一つの見方にすぎないが)

「科学者」らしき人が「科学的に」説明された説を、簡単に鵜呑みにしない。

それは、逆説的に言えば、この本に書いてあることも、簡単に鵜呑みにしない、ということでもある。

素人が判断できることには限界もあるし、科学者側が一般の人に説明することにも限界はある。

しかし、お互いに理解しようと歩み寄ることはできると思う。

この一冊は、そんな相互理解の、そしてその先にある「科学への信頼」の、

ひとつの助けになるだろう。

 

原発」や「被曝」や「安全」が気にならない人はほとんどいないと思うが、

そういった事に興味関心がある人には、ぜひこの本を読んでほしいと思う。

 

この国における「科学」への一般的な理解が、少しでも深まり、

「科学」への信頼が少しでも向上していくことを願ってやまない。